大人になること

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Posted by omurostaff | Posted in スタッフブログ | Posted on 05-02-2018

 大人になること

人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。けれど私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。

といってもなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな普通の暮しをしていました。好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。

けれど生活をささえている両親の苦労はさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気付かず、なにごとにも付和雷同をしていました。思えばなさけなくもあさはかな若き日々でありました。

ですからいくら私の好きなももいろの洋服が似あったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子をかわいくかぶれたとしても、そんなころに私はもどりたくはないのです。

ましてあのころの、あんな下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、これはまさに自殺ものです。

もちろんいまの私がもうりっぱになってしまっているといっているのではありません。だけどあのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつ、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。

少年老いやすく学成りがたしとか。老いても学は成らないのかもしれません。

でも自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、不思議なことだけれどこの世の中の生き甲斐なのです。若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えてゆるせなかったこともありました。

いま私はちょうど逆の立場になって、私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。

いわさきちひろ 「ひろば」(至光社)53号(1972年4月)より

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【大人になること】。数年前 東京石神井にあるちひろ美術館で出会いました。
壁に掲げられていたこの短文の前でしばらく動けなくなった事を覚えています。

先日、高校の同窓会がありました。卒後四半世紀。
年齢的にも社会的にも【大人】と呼ばれる世代です。
さて、おとな、とはなんでしょう? 20歳を過ぎると自動的になれるわけでもなく。

いくつになろうとも 自分の身に起こったことを他人や周囲のせいにしているうちは『おとな』、ではないのかもしれませんね。
大人になりたい、と願います。大人が多い社会になって欲しいとも。
他人や周囲のせいにせず、失敗を重ねて、冷や汗をかきつつもすこしずつものがわかり、後ろではなく前を見て・・。
その上で、自分を取り巻くことに感謝し人生を楽しめる【おとな】 に。

chihiro